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hannala
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弥生時代のはじまり(1)
考古学が専門なんですが、特に弥生時代の始まり頃に一番興味を持っています。他の時代に全く興味がないわけではないのですが、普段はあまり関心を向けていません。もちろん、仕事で別の時代の遺跡を発掘することも多々ありますが、それは飽くまでもお仕事。趣味の時間まで裂こうとは思いません。
そうした意味では『心の狭い考古学ファン』と自称しているのも、あながち外れてはいないと思っています。興味の対象外な遺跡や遺物には、かなり関心低いです。たとえ仕事のテリトリーのものであっても、です。『これって良くないのかな〜?』とも思いますが、人は人、私は私。考古学は楽しむものだと信じ切っていますからね。 考古学ネタのときはコメントもつかないんですよね〜(>_<)でも、大好きな考古学の記事ですから、しっかり書いていきますよ。もちろんマニアックな内容ですからご容赦を。 さて、私は稲作が日本に入って来て定着するまでの過程に最も興味を持っています。中国の華南で始まった稲作が、どのような経路をたどって日本にもたらされ、そして定着していったのか?そのルートはいくつあるのか?などです。 このことを考える上では、その時代の地域毎の土器のあり方、集落のあり方がヒントになります。一般には、中国大陸から韓半島(朝鮮半島)に伝わった稲作が玄界灘沿岸地方に伝わり、そこを発信源にして東方および南方に伝播した、と見られています。端的にいうと、日本列島では、玄界灘沿岸の1点に伝えられた稲作が、拡散したという考え方です。 私は、この考え方に疑問を持っています。まず、玄界灘沿岸で出土する炭化米と有明海沿岸で出土する炭化米の違いが気になります。稲の研究者からみると品種が異なると考えられるという研究結果も出ています。これは弥生時代後期の炭化米が資料になっていますが、今のように種籾が頻繁に移動することは考えにくいですから、稲作導入当初から地域によって品種が異なっていたのではないかと考えています。 興味深いことですが、玄界灘沿岸地域の米は韓半島南部のものに近く、有明海沿岸の米は中国華南地方のものに近いという点です。これはどうしたことでしょうか? このことは、玄界灘沿岸と有明海沿岸では稲作の彼地が異なっている、ということを示唆しているのではないでしょうか?もちろん、有明海沿岸地域に中国華南地方から直接稲作が伝播したということは考えられません。しかし、米の品種に対応するように、弥生時代前期の土器も玄界灘沿岸と有明海沿岸では異なっています。ここら辺を考え始めるとワクワクして来ますね。両地域の土器は共通点も多いのだけれど、相違点もまた際立っています。次の機会には、それぞれの地域の土器の写真を準備したいと思います。 マニアックな内容ですから、今日はこれくらいにしておきます。続編はまたいずれ書きたいと思います。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
by todo0902
| 2006-09-06 21:59
| 考古学
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