今年も、この日が巡ってきました。三年前の3月11日、私は翌日のイベント準備に追われ忙しく働いていました。夕方に「東北で何だかすごい地震があったらしい」と情報が入り、深夜にイベントの中止が決まりました。
そこから関係者にイベント中止の連絡を電話し、2時間しか寝ないまま、翌朝からイベント中止の対応のため、イベント会場に張り付きました。なんとも徒労感だけが残る2日間でした。
さて、私も3.11に特別な思いを寄せる1人です。それは、2011年7月に1周間ちょっとですが、東日本大震災の災害支援で仙台市太白区に派遣していただいたからです。太白区は津波の被害を受けていませんでしたが、それでも行政職員のみなさんは罹災調査等で、倒れそうになりながら業務をこなしておられました。
私が派遣されたことで、どの程度の力になれたのかは判りません。しかし、派遣されたメンバーを含めて、復興への心は一丸になっていました。ですから、東北の復興は人ごととは思えないのです。
九州の地から、何が出来るのかを日々考えています。石巻で日和山に連れて行ってくれたタクシーの運転手さんに「九州に住んでいる私に何ができますか」と尋ねた時の答えが今も耳に残ります。「忘れねえでいてくれるかい?」私は決して忘れたくない、そう思っています。