今年の、私的考古学のテーマは『水と弥生時代』なんてどうだろう?と考えています。まあ、私的考古学に、年毎のテーマが必要なのかどうかも不明ですが・・。
水は、なにも弥生時代を待たなくても、人類にとってもっとも重要なものの1つです。縄文時代にも、堅果類の灰汁抜きのための水さらし遺構などが良く知られています。
しかし、弥生時代に定着する水稲耕作には、水を管理する能力が求められます。言い換えれば、水を管理する能力がないと、水稲耕作を営むことは不可能なのです。
現代の水田経営を見ても、それは伺えます。田を耕し、水を引いてきて水田を作りますが、水は多すぎても少なすぎてもダメです。また、稲の生育段階に応じては水位の調節が必要で、多収のためには中干しなども必要です。もちろん、稲刈りの時には、田が干上がってないといけません。
このように、自在に水位を調整してこそ、はじめて計画的な水田経営と言えるのです。これは弥生時代のはじめから、大きく変わっていないと考えています。
また、そうした難しい水管理を行なうにあたり、様々な水辺の祭祀が行なわれたと思われます。水辺には、通常の生活空間とは異なる遺物の出土が見られることがあります。この辺を整理していくと、弥生人の精神世界に近づけるかも知れません。
春頃から、ボチボチと取材を始めて、夏頃には小さな文章にまとめてみたいと思います。この作業が、抜群に楽しいんですよね。いまから楽しみです。