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弥生時代の集落
久しぶりに考古学のお話です。ちょっとマニアックに振った内容ですから、考古学に興味のない方はスルーを推奨します(笑)。
まず考えておきたいのは、弥生時代の集落は単体で完結するのか、という問題です。もちろん、各集落は交流をしますから、全く他集落と関連しない集落は存在しません。ここで問題にしたいのは、通常の生活が単独の集落で完結しうる状況であったか、ということです。 集落には、いくつかの構成要素があります。人が生まれ、住み、食料を生産したり採集し、その食料を食べ、排泄し、その集落の集団を維持し、そして死んでいく。これが一通り単独の集落で完結するかということが、上で書いた、単体で完結するかどうかということになろうかと思います。 先に結論を書きます。私は単独では完結しないものだったと考えています。人が生まれ、住むという部分においては住居が一定数存在しています(むしろ一定数の住居がないと集落とは言えません)から、この点は完結していると言って良いでしょう。また、食料の生産あるいは採集についても、他集落との交易は別にして他集落との共同作業に依らずとも食料確保はできたと考えます。これは、多くの民俗例をみても大過ない考え方だと思います。 食料を食べ、そして排泄すること。これはもちろん、集落の中で完結します。これについては説明を省きます。そして集落の集団の維持と死についてが問題になります。 集団の維持についてですが、これは完結するという見方と完結しないという見方が、両方とも出てくるでしょう。しかし、弥生時代において、集落間で競争なり統合なりが起こり、クニの萌芽ともいえる複数の集落による連合体(あるいは共同体)が出現するということについては、あまり異論はないと思います。そうした連合体としての集団の維持を行う必要がある以上、この部分については集落単体での完結はできないと言えます。 また、この集団の維持を行うのに大きな位置を占めるのは葬送儀礼だと思います。このブログでも何度も書きましたが、葬送儀礼は死者の弔いではなく、残された集団の構成員のための儀式です。死者の葬送儀礼を通じて、同じ集団の構成員であることを再確認し、集団の中の繋がりを強くする為の祭礼です。 つまり、集落の連合体が、その構成集落や集落構成員の結束を保持するためには、葬送儀礼は集落単体で行っては意味がないのです。その証左に、近畿地方でも九州でも、墓域の確認できない集落は普通に存在します。ある集落の墓域を他の集落が共有していると考えるべきなのか、もしくは墓域だけが独立した場所を確保して複数の集落が利用するのかは、いろいろなケースがあると思います。いずれにせよ、集落ごとに専用の墓域がセットで存在し、墓域をもたない集落はない、とは言えない状況だと思っています。 さて、もうひとつ貯蔵施設の問題があります。これは集落ごとに存在すると考えて良いと思いますが、複数の集落で使用する貯蔵施設がなかったかと言えば、これは不明としか言いようがありません。ただし、拠点的な集落には住居の数と比較して貯蔵施設が多い傾向はあるようです。しかしながら、これは現段階では何とも言えません。 このような状況から、非常に根底的な部分において、単独では機能してないと考えているのです。集団というものの機能についての評価によって、考え方は変わると思いますが、人間は集団で存在しています。これは、現代も弥生時代も変わらないと思っています。
by todo0902
| 2015-03-16 20:31
| 考古学
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