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宗教
今日は、お世話になった業界の先輩のお通夜にお参りしてきました。その通夜の席で、思いを巡らせたことについて綴ってみます。
お通夜や葬儀は、通常宗教行事として営まれ、ある意味で私たちが一番宗教を身近に感じる時ではないでしょうか。特に仏式の葬送は、私たち日本人にとって最も一般的なものです。 今日のお通夜の法要も仏式で営まれ、宗派は臨済宗でした。禅宗の法要は久しぶりだったので、お経をじっくりと聞いていました。 今日、ふと疑問に思ったのですが、どうして仏典は漢語(つまり古典中国語)で唱えられるのでしょうか。日本語で唱えてくれないと、全く意味が解らないんです。 私はカトリック教徒ですが、カトリックのミサは当然日本語ですし、最近では口語化も進んでいます。私たちが子供の頃に覚えた祈祷文は文語体でしたが、現在は口語体の祈祷文に変わっています。 かつては、カトリックのミサも世界中のどこでもラテン語で執り行われていました。しかし、私は現地の言葉で行う、今の状態こそが正しいと思っています。 なぜなら、意味の解らない外国語で祈りを捧げたところで、有り難みはあるかもしれませんが、心のこもった祈祷にはならないと思うからです。「お経」が眠たい呪文の代名詞として語られるのも、無理はないと思います。 キリスト教が、ここまで信者に対して親切な宗教であるのに、仏教の現実はどうでしょうか。ぜひ仏典を日本語訳して唱えて欲しいと思うのは私だけでしょうか。 この思いの根底には、宗教とは葬送儀礼のためだけにあるのではなく、人生哲学そのものであるべきとの私なりの考えがあります。宗教とは、死者のためのものではなく、いまを生きる者のためにあるもだと思うからです。 このことに対して、ぜひ仏教界の方や、仏教徒の方の意見を聞いてみたいと思っています。成り行きではなく、宗教を心の拠り所とするためにも、必要な改革だと思うのですが、如何でしょうか。
by todo0902
| 2011-01-06 22:31
| 徒然日記
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