恩師の水野正好先生が、1969年に発表した『縄文時代集落研究の基礎的操作』という論文があります。後の研究者に批判的に取り上げられることも多い論文ですが、私は、まさに記念碑的な論文だと思っています。
縄文時代の集落の基本形態を2棟3単位とし、その家族構成にまで言及した内容は、今でも輝きを失っていないと私は思っています。確かに三内丸山遺跡などは、この論文では理解できませんが、一般的な集落の基本形態を言い当てているのではないでしょうか。
集落構造に限らず、当時の社会を復元していく上では当時のスタンダードを復元することは非常に重要な作業になります。そこでは、例外的な事例を、いかに排除できるかが問題であるとも言えます。
そうした意味で、『縄文時代集落研究の基礎的操作』と言う論文の持つ意味は、非常に大きなものがあります。集落を構成して行く上で、縄文人達がどのような感覚で考えたかを復元しようとしたとも言えます。
心や感性の問題に踏み込みかけていますので、そこらへんが『想念の考古学』と言われる所以です。しかし、物心両面の文化復元が考古学の使命だと考えていますので、理想は忘れないようにしたいと思います。